経済・政治・国際

2010年3月24日 (水)

USドル

昨秋、夫がべトナムへ行く際、ベトナム通貨のドンが入手困難なので、米ドル札を用意した。なんとなくだが、アメリカへ行く予定ができそうだと思ったので、私も数万円を米ドルへ換金した。一ドル88円と、これ以上高くはならないだろうと予想できるほど、円高ということも手伝った。

私の初海外旅行はハワイ(オアフ島)なのだが、当時、1ドル88円とか93円とか、とくかく100円は切っていたように思う。二度目となる西海岸へのアメリカ旅行は1ドル131円ほど。ハワイから2年半後の旅行だったが、40円前後も円安が進んだことになる。さすがに、131円となると、気軽に何でもかんでも購入するというわけにはいかなかったのを覚えている。

そんな米ドル。基軸通貨でもあるわけだが、紙幣が衣替えをしたようだ。昨秋換金した際に気づいたのだが、カラフルな札に変わっていた。 

Photo   

今までの紙幣は、印刷のデザインが異なるだけで、色やサイズは同じだった。ちょうど写真の1ドル札のデザインが、どの額面の紙幣にも採用されていた。2006年にハワイ島へ行った時は、カラフルな新札ではなかったので、その後の変更なのだろう。色を覚えておけば、間違いも減るので、便利になったのではないだろうか。そう言えば、ユーロは元々カラフルな紙幣だが、確かに使い勝手は良い。使い始めのころは、おもちゃの紙幣のように感じたものだった。

世界で一番流通しているとされる通貨なだけに、偽造も多いと思われる。あの手、この手を駆使して、偽造防止を行っているのだろう。日本もそうだが、短期間でデザインを変更するのが一番いい偽造防止策だと聞いたことがある。

ここで、海外における日本札盗難防止の話を一つ。海外で地元の警察官に、「偽札が横行しているので、所持している日本札を見せてほしい」と言われても絶対見せないこと。なぜなら、日本のお札の印刷技術は世界一を誇るので、外国の警察官ごときに、所持している日本の紙幣が、本物であるか贋物であるかの判断はできないというのが理由。確かに。毎日見慣れている私たちでさえ、贋物を見せられて、すぐにそれを見破られる自信があるかと聞かれれば、首を傾げてしまう。見たことがないから、なおさらだ

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2009年8月31日 (月)

政治の歴史に残る日

昨日、台風の影響が出始め、横から吹き付ける小雨の中、衆議院選挙の投票に行った。夫と連れ立って。

引っ越し後、今回の投票所で投票するのは二回目。前回の選挙時も雨天だったが、今回も雨天となった。投票所に近づくにつれ、投票に訪れる有権者で入口付近が混雑しているのが視界に入った。全体の投票率は69.28%で、かなりの高投票率だったらしいが、その実感は確かにあった。

今回の候補者選挙活動中、首相やある党の幹部など、様々な有名人気議員の応援演説に出くわした。たまたまだったが、足を止めて演説を聴いたこともあった。私自身も開票結果に大変興味のある選挙だった。

選挙日がゴールではなく、これからが新たな日本の本当のスタート。多くの国民が下した判断が吉と出るか凶と出るか。日本の行方、自らの目でもしっかり見続けていきたい。

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2009年4月11日 (土)

かくしぇるたー

北朝鮮の人工衛星打ち上げのニュース。実は人工衛星ではなく、ミサイルだったと日本政府は正式に発表。今後も引き続き、独自の制裁処置を取っていくという。

それに関して興味深いニュースを見た。各国の核シェルター保有率だ。なんとスイスとイスラエルは100%の保有率なんだとか。どこにどういうふうに所有しているのか。自宅が核シェルターになっているのか。100%の数字にまず驚いたが、日本の保有率が0.02%だということにも驚いた。所有している人がいるんだ!

番組では、唯一の被爆国である日本の保有率がこんなに低いのに、他国が高保有率なのが皮肉だというようなことを言っていた。日本の危機意識の低さを嘲笑っていた。そうなのだ。日本は世界で唯一、原子爆弾の被害を被った国なのだ。どこよりも強いメッセージを発信し続けていかなくてはならない国なのだ。

「あなたは、核シェルターを持っていますか?」
「はい。今回、北朝鮮のことがあったので購入しました」

そんなやり取りがテレビ画面に映し出されていた。しかも、核シェエルター、一つ約250万円~4000万円くらいのものが揃っているという。販売されているなんて!おそらく、自宅を核に耐えられるように補強したり、地下に設置したりするのだと思うのだが…。もう驚きの連続だ。

そう言えば、夫の実家のリビングを強い地震にも耐えられるようなシェルター構造にしたと義父が言っていたっけ。国からも若干補助金があったという。家庭用地震シェルターも核シェルターの仲間?夫の実家も0.02%の中に入るのだろうか?

もし日本に核兵器が投下されて、自分たちだけがシェルター内で無事だったとしても、周りがめちゃくちゃに破壊されている世の中で、生きていく自信が持てるかどうか。壊滅的に変わり果てた姿になった日本を目の当たりにして、健全な生活を送れる自信は全くない。弱者的考えだろうか。他国のように国レベルで対策しているのなら別だが、自分だけが核シェルターを購入してまで生き残ることは、この先も考えないと断言できる。

 

皆さんは、核シェルター、欲しいですか?

 

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2008年2月 8日 (金)

中国産餃子の影

中国産の冷凍餃子を食べて腹痛や下痢・嘔吐などの症状が出た事件は、ニュースを見て知っていた。しかし、ついうっかり、冷凍の水餃子を購入してしまった。冷凍庫にしまう時、よ~く見たら、小さな字で“中国産”と読める。ガーン!

水餃子を買ったお店に電話して安全を確認したら、「本部から安全だと言ってきている商品だけを並べています」とのことだった。それでも心配で、実家の母にも電話した。「今は食べるのを止めた方がいいんじゃないかしら。何かあっても困るから」とのことだった。

意見が分かれたので、夫にもメールしてみた。仕事中なので、返事が来るころには夕食を作り始めなければならないかもしれないが、彼の意見も聞きたかった。

たかが水餃子、されど水餃子。焼き餃子とは違うけど、水餃子だけど、餃子には変わりない。私だけが食べるわけではないから、慎重になってしまう。

母の意見を聞く前は、食べても大丈夫だろうと思ったのだが、夫からの返信も、「餃子食べないで!」だったので、食べるのは止めた。そして、夕食は水餃子の代わりに肉団子を入れた、肉団子スープになった。一昨日の話だ。

そして、今夜のメニューはPhoto鶏団子鍋。肉団子スープであまった材料(白菜、にんじん、しいたけ、ねぎ)+レンコン入り鶏肉団子、焼き豆腐、えのきだけ、結びこんにゃく、スライス餅、おうどんが、お鍋の中でグツグツ♪ 餃子騒動はどこへ行ったのかと思うくらい、平和な楽しい夕食だった。

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2008年1月31日 (木)

確定申告&住宅ローン控除

行って来た、確定申告。やっと終わった。疲れた。

会場に到着したのは12時15分ごろ。先週とは打って変わって、書類作成台は多くの人で混んでいた。すでに入場制限がかかっており、10分ほど並んで作成台へ案内された。

ちょうど職員が昼食の交替時間のため、手薄であるという説明があったが、本来の人数の職員が揃った後も、手を挙げて質問する人は減らない。ずっと挙げている腕が痛くなってしまうほど、待たされた。「つきっきりにはなれませんので、わからない箇所が出て来た時点で手を挙げてください」と言われた。仕方がないルールなのだろう。

結局、確定申告と住宅ローン控除の計算書を作成し終わったのは、作成台へ案内されてから1時間40分後だった。ずっと立ちっぱなしなのも辛いが、事前にもらっていた資料を熟読して臨んでいるにもかかわらず、これほど時間がかかるのかと、自分でも嫌になった。

先週もらった資料を夫と一緒に読み、申告書の記入箇所を埋めようと努力はしたものの、ほとんど無記入のまま、申告に行くことになった。どうしてあんなに、資料で使われている言葉は難しいのか、もっと分かりやすい説明はできないのか、今まで誰も訴えたりしなかったのか。疑問はいくつも残るが、きっとそんな一申告者の意見など、聞いてはもらえないのだろう。来年の資料も、今年の年度を直すくらいしかしないのだろう。

会場を後にしても、試験が終わった後のような解放感は感じられず、ただ疲労感ばかりが満ちていた。休憩のために腰を下ろしたベンチで、しばらく動けないほどだった。

メールで諸手続きが済んだ報告を受けていた夫は、ケーキを買って帰宅した。私の労を優しく労ってくれた。夫の顔を見て、一気に疲れが吹き飛んだ。

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2007年12月12日 (水)

米軍基地 ~航空母艦の帰港~

日本におけるアメリカ

日本には米軍の基地(ベース)が数多く存在している。よく訪れる沖縄では、当たり前のように、住宅の上を戦闘機が低空で飛行している光景を見かける。

初めて知ったことなのだが、神奈川は、沖縄に次いで二番目に米軍基地がある県なのだそうだ。沖縄43に対して、神奈川は16。厚木飛行場やキャンプ座間、池子米軍住宅、そして横須賀海軍基地が有名だ。日本列島にありながら、アメリカである“基地”。普段は、日本人が足を踏み入れることのできない場所である。ゲートでは、常に軍の警備の姿がある。

Photo_15 その基地の一つである横須賀海軍基地に、先週の土曜日、足を踏み入れた。私たちが そこに入ることができたのは、【グランドイルミネーション】というイベントがあったからだ。この時季に一般人への開放は初めてだという。理由は、空母“キティホーク”が帰港してしたからに他ならない。帰港というのも、キティホークの母港は横須賀海軍基地なのだ。

  

ベースの中へ

ベースの入口では、迷彩服を着用したPhoto_2自衛隊員が大勢立っていた。それほど緊迫した空気は漂っていないが、そこが日本ではなく他国なのだという緊張感を人々に持たせるだけの雰囲気は、十分作り出されていた。

中に入る全員に対して、荷物検査が行われた。空港同様、ポケットの中のものも、出させられた。一人の迷彩服姿の自衛隊員が近づいてきたかと思ったら、夫に「無作為ですが、身分確認をさせていただいています」と言い、身分証の提示を求めてきた。どうして夫が選ばれたのか、首を傾げるしかない。怪しかったのだろうか。

Us 人の波に乗って、ずんずん奥へ進む。途中、ドッグを見学したり、クリスマスツリーなどをひやかしながら歩いた。

500mも進んだだろうか、人の流れに沿って道を左に曲がった瞬間、巨大な鉄の固まりが目に飛び込んで来た。航空母艦“キティホーク”だ。

Photo_4 突然だったのと、あまりの巨大さで、一瞬、足が立ちすくんでしまった。「おぉ~!」と感嘆の声が漏れた。「何これ~!」という第一声が、今までに見たこともないお化けに遭遇したかのような心境を物語っていた。

ゲートからの人の波は、ここへ急ぐ人の波だったのだ。キティホークに乗艦するにも、長蛇の列ができていた。艦上にも大勢の人の姿が米粒のように見える。遊園地のアトラクションに並んでいるかのような錯覚に陥った。

Photo_17 空母の前で、戦闘機が翼を休めていた。おそらく、この空母から発艦・着艦する艦載機だろう。こんなに近くで見るのはもちろん初めて。女性の私が見ても、格好いいと思ってしまう。『トップガン』という昔の映画を思い出した。

 

キティホーク乗艦

Photo_12Photo_10乗艦直前に「空母キティホークへようこそ」を書かれた小冊子を手渡された。それは、艦長の挨拶に始まり、写真付きで空母の紹介が大半を占めているものだった。それによると、キティホークは米軍Kitty_hawk 最年長の現役軍艦であることがわかる。アメリカ唯一の航空母艦としての任務をインディペンデンスから引き継ぎ、制海や戦力展開による国策支援に寄与しているそうだ。

Photo_8 とにかく、キティホークは大きかった。乗艦しても、その印象は変わらない。広い広い艦上には、艦載機を何機艦載できるのか、想像もできない。全長は約335mだという。

あちこちで写真を撮っている人の姿が多い。空母自体はもちろんのこと、艦上にいる米兵や船長の周りにも人だかりがしていた。

Photo_11乗艦している人々の中では、男性が目立つ。やはりこういったものに興味を持つのは、女性より男性だ。「男は基本的に戦いが好きなんだよ」と投げやりな言い方をした夫。その夫自身は、あまりこういったものにはPhoto_16 興味はないのだそうだ。ベースに入ってみたいという私にくっついて来ただけだから、申し訳ない気持ちになった。夫には、空母は戦で活躍し人を殺めることにつながるものという感覚が底辺にあるらしい。そう言われてしまえば、そうかもしれないが…。

テレビのニュースで見るだけだったキティホーク。世界の海を活躍の場としているのだろう。その役割について、微々たる知識でしかない私にはいろいろ言うほどの権利はないので、ここではあえて記さないことにする。

 

キティホークの公式HP http://www.kittyhawk.navy.mil

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2007年6月15日 (金)

世界の中の日本

数年前に話題になった『世界がもし100人の村だったら』という本を、最近になって読んだ。この本には『世界がもし100人の村だったら②』と『世界がもし100人の村だったら③ たべもの編』、『世界がもし100人の村だったら④ 子ども編』という続編もあり、4冊まとめて読んだ。

ページを繰るたびに、衝撃的な文章に出会う。世界における日本の富裕さが、数字で飛び込んで来た。世界を知ることは日本を、そして自分自身を知ることにつながる。

 

『世界がもし100人の村だったら』より

村人のうち                            
1人が大学の教育を受け
2人がコンピューターを
もっています
けれど、
14人は文字が読めません

 

20人は栄養がじゅうぶんではなく
1人は死にそうなほどです
でも15人は太りすぎです

 

『世界がもし100人の村だったら③ たべもの編』より

日本の国の予算のうち
農業のためにつかわれるのは
4%です
軍事費は
6%です

 

日本の食料自給率は
40%です。わたしたちのからだの
60%は、
よその国の資源をつかって、
よその国の人がつくった
たべものでできています。

 

『世界がもし100人の村だったら④ 子ども編』より

世界の子どもがもし100人だったら
生まれたことが役所などに届けられない子どもは
55人か、あるいはそれ以上です。
(中略)
日本では、100人の子どもすべてが
届けを出されます。

 

読み進めていく手が途中で何度も止まった。次のページをめくるのが怖くなることもしばしば。現実を知れば知るほど、辛い気持ちになった。そして、自分の無知を知った。

子どものころ、「豊かな日本に生まれてよかったね」という言葉を頻繁に聞いた気がする。現状を知らず、言われるがままに「日本に生まれてよかった」と思っていたであろう自分が情けない。人の痛みをわかってあげられない子どもだったのだ。

先進国に生まれたからには、それなりの役割があるのではないかと思う。逆に言えば、だからこそ、先進国に生まれたのかもしれない。途上国と言われる国々に住んでいる、誰かの助けを必要としている人々を救えるのは、そのことを知っている者たちだ。救えるなどとおこがましい言い方は適していないだろう。何と言えばいいのだろう。協力とでも言おうか。語彙が少なく、適切な言葉が浮かばない。

たとえば、早急な対策が必要な「地球温暖化問題」。これはかなり身近な問題である。環境問題に取り組むことは、長い目で見れば、地球全体を考えることにつながる。一人ひとりがゴミを減らす努力をすることで、二酸化炭素が少しずつでも減らせていければ、温暖化に効果があるだろう。自然を破壊せずに、環境に優しいエネルギー源が発見・開発されれば、それも効果的かもしれない。

国連人口推計では、伸びが鈍化してきているとは言え、このまま世界人口は増え続け、ピークに達すると思われる21世紀後半には、世界人口は100億人に達するという。しかし、それだけの人口を養うの耕地面積が地球上にはなく、大きな食糧確保の問題が生じると懸念されている。農地の劣化、砂漠化は食い止められないのだろうか?

非才の私に考えられることには限りがあるが、有識人たちには、地球やそこの暮らす人々全員を守る観点で、様々なことに尽力してほしいと願う。

この本が話題となった時期、内容を重く受け止めた国はあったのだろうか?真剣に、また具体的に改善策に取り組んだ国はあったのだろうか?果たして日本はどうだったのだろうか?「へぇ~、そうなんだ~」で、終わってしまったのだろうか?

話題に上っていた時に興味を示さなかった私が意見するのも矛盾しているが、国単位で動けないのなら、個人でできることから地球のことを考えた取り組みをしていかなければならない時期にきているのだと思う。

まずは、現状を知ることから始めてみるのがいいだろう。そして、一人でも多くの人が、関心を持ち、何らかの行動に移せたら、笑顔が戻る人々が大勢いることだろう。

もっと取り組みの幅を広げていくことを決意した、本との出会いだった。

 

 

 

 

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2006年11月24日 (金)

へそくり袋が5枚に

夫も知っている“へそくり”。それは・・・。

 

Avox01161_1 近所のスーパーで1000ポイントをためると、1000円キャッシュバックされます。その1000円が入っている封筒の名が“へそくり袋”。10万円分の買い物で1000円のへそくりがたまります。昨日で5枚もたまりました。

 

レジでは「パッパカパッパッパーン!」という少し派手な音がなり、福引に当たったかのような楽しい気分にさせてくれます。なぜか、この音が鳴る時はいつも夫と一緒です。夫と一緒に買い物に行くのは週末だけなので、確率的には低いのですが・・・。

 

夫も知っているへそくりでした。

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