文化・芸術

2010年2月 4日 (木)

2010年節分

昨日の節分は、豆まきはしなかったものの、夕食に恵方巻を食べた。夫は長めの、私は寸胴の恵方巻。久しぶりの太巻きということも手伝ってか、とてもおいしかった。

関東でも、もう恵方巻はしっかり定着した感がある。どこのスーパーやコンビニでも、特設コーナーが設けられ、を買い求める人で賑わいを見せる。今年は西南西のやや右ということで、微妙な方角。インターネットで我がダイニングから西南西を確かめ、ガブリ。

二年前もそうだったのだか、この日、つい手に取ってしまうのが巻物。やはり今年も買ってしまった、ロールケーキ(恵方スイーツのシール付きだったが、この言葉今後はやるかも)。節分は、なんでも巻いてある物が買いたくなってしまうから不思議だ。

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2009年12月24日 (木)

2009クリスマス☆デート

クリスマス☆ランチ

今年のクリスマスは、品川にあるホテルでランチバイキングをメインに企画。一度行ったことのあるレストランで、とても気に入っていた場所。昨年は、予約の電話を入れたのが遅かったため、取れなかったレストランだ。昨年の悔しさをバネに(それほどのことでもないが…)、予約可能になったその日の午前中(10月1日10時)にダイヤルした。

張り切った甲斐もあり、一段高い二人だけの独立テーブルに案内され、レストラン会場を見渡せる好位置で、ランチを楽しむことができた。和洋中と各ブースに分かれて並んでいるお料理はクリスマスを意識したメニューが少なかったが、種類が豊富なので、飽きることなく舌鼓。私のお皿は、Photo_5イカスミのリゾット・カボチャのニョッキ、キノコのピザ・カニ入りホワイトソースのペンネと、バラエティ豊かなパスタに占領。日ごろ、行きたくてもあまり行かれないイタリアン中心に彩られた。

縁とは不思議なもので、前職場の先輩・同僚の先生方とその家族に、レストラン内でバッタリ。彼女たちは10人以上のグループなので、唯一ある個室に案内されていた。帰り際、挨拶に行き、ちょっとおしゃべり。退職した後も同じように接してくれる先輩・同僚たち。みんなの笑顔に、大きな安心感を感じた。

 

埠頭

「竹芝に行きたい」と言う夫に連れられ、竹芝埠頭へ。ゆりかもめの竹芝駅直結のターミナルはガラーンとしていた。ここからは伊豆七島へ向けて毎日数便の船が就航している。人影が少ないのは、強風で欠航となっている船があるからかもしれない。

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ホットドリンクで手を温めながら、埠頭を見下ろせる公園の一角にあるベンチに腰を下ろす。スカッと晴れ渡った冬の青空が美しかった。「穴場でしょ?」とちょっと誇らしげな夫は、すでに肩をすぼめ寒そうなポーズ。人混みが苦手なので、人が少ない場所が好きなのだ。

 

光の海と銀河鉄道

この時期、やはり夕方以降、期待してしまうのはクリスマス☆イルミネーション。汐留に移動し、日テレのからくり時計やショップなどをひやかした後、カレッタ汐留の『Caretta OCEAN Xmas』 の点灯を待つ。大勢の人の山に、期待も膨らむ。

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LED30万球が一斉に点灯した瞬間、集まった人々から感嘆のため息がもれた。大海原の中のサンゴをイメージしたピンクのツリーがひときわ目を惹き、幻想的な雰囲気をかもし出していた。海の中を人魚姫にでもなって泳いでいる気分に。

Photo_3点滅しているもの、変色して波のしぶきを演出しているもの、場の雰囲気を変えるものとLEDの輝きが変化するたびに、あちこちから歓声が上がる。うっとりしてしまって、しばし動けず…。

すぐ近くの旧新橋停車場では、走れ!ファンタジア号Galaxy Platform ~宇宙への旅立ち~』と題したイルミネーションが展開されていると知り、そちらへもGo!日本初の鉄道が新橋・横浜間を開通した当時の蒸気機関車を模して創られているそうで、夜の街に出現した光の列車は銀河鉄道そのものだった。

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 今年もきらびやかなクリスマス☆イルミネーションを愛でることができたことに感謝。今夜、多くの人々に、幸せの光が降り注ぎますように…。

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2009年9月29日 (火)

広島旅行二日目② ~神の島の世界遺産~

宮島の名物 あなご飯

午前中に平和記念公園・資料館を見学した後、午後からもう一つの世界遺産厳島神社のある宮島へ移動した。地理的に宮島がどこにあるのか知らなかったが、名前の通り、船で渡って行く島であった。

Photo10分のほどの船旅。宮島に着いて、早速名物のあなご飯の昼食にした。穴子はあまり好きではないのだが、名物となれば食してみたくなるのが人間というもの。

前日の尾道ラーメンで120分、広島風お好み焼きで60分待ったので、あなご飯はなるべく空いている店を選んだ。それでも30分ほど待たされただろうか。目の前に運ばれて来たあなご飯定食は、ふっくらした穴子の身がきちんと丼の中で並べられた一品だった。細かい骨もあったが、おいしくいただいた。朝食を食べ過ぎたせいか、全部食べきれず、夫に手伝ってもらった。

 

鹿ともみじ饅頭

宮島の名物はあなご飯以外にもある。その一つが、もみじ饅頭。つぶあんとこしあん以外にも、いろいろな味が増えていることは知っていたが、ここまでフレーバーがあるとは思っても見なかった。

Photo_2珍しい物好きの血が騒ぎ、フルーツ味、ブルーベリー味、チーズ味、キャラメルピーナッツ味などを試食してみる。ジャム系のものは想像を超えない味だが、チーズの塩加減やキャラメルピーナッツのほろ苦さ+甘さは絶妙で、おいしかった。掌サイズのもみじ饅頭はきちんと成型されており、見た目もかわいい。

もみじ饅頭のかわいさからではないだろうが、鹿が近寄ってきて困った。匂いがするのだろうか。食べ物であることがわかるらしく、ビニール袋に包まれたもみじ饅頭を持っているだけでも、鹿にねだられる。ティッシュや紙類を食べられてしまっている観光客の姿も見かけた。

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船着場から厳島神社へ続く参道の両脇には、あなご飯やカキを振舞う食堂、もみじ饅頭を焼いている店、土産物店などが軒を連ねている。Photo_11もみじをかたどった揚げかまぼこや天ぷらもみじ饅頭などもあった。そぞろ歩くにはもってこいの参道。人をかき分け、見て歩くだけでもかなり楽しく、なかなか厳島神社までたどり着けない。

ようやく厳島神社の海の中に立つ鳥居が見えてきた。船着場から1kmくらいの距離だろうか。連日の立ちっ放し・Photo_6歩き疲れも加わって、ベンチを見つけるとすぐ休憩したくなる。鳥居が見える海に面したベンチに腰を下ろし、鹿に見つからないようにもみじ饅頭を取り出す。名所で名物をいただく時間、至福のひと時だ。

 

厳島神社

日本三景にも選ばれている厳島神社は、弘法大師によって開かれた弥山(みせん)を背景にいただく自然美との調和のとれた海に面している神社だ。いつぞやの台風で社殿の一部が破壊された映像をテレビで見たことがあるが、すっかり修復されているようだった。

ちょうど訪れた時は、次第に干潮になって行く時間帯だったようで、ベンチで休憩していても潮が引いて行くのが手に取るようにわかった。写真には、鳥居付近へ歩いて近づいている人々の姿が写っていた。

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前回夫が参詣した時は潮が満ちていたので、満干両方の風景を拝むことができたと夫は喜んでいた。高さ16m、総重量60tの大鳥居の美しさは、海の中に屹立することで、Photo_10それを際立たせているのかもしれない。驚くことは、土に埋まっている部分はなく、自らの重みだけで立っていること。倒れない工夫が随所に施されているようだが、その辺りも一見の価値がある。

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2009年5月12日 (火)

オーストラリア旅行五日目② ~世界の車窓から~

キュランダで自由散策

Photoキュランダ村でホットドッグと名物アイスクリームの昼食をお腹に収め、ここでしか見られないシリウスをいう名の青い蝶のいる蝶々園へ。青い蝶なんて珍しい。

Photo_2シリウスはケアンズでは有名な蝶。3匹見たら、金運に恵まれると言い伝えられている。蝶々園に行くまでに、すでに3匹以上のシリウスを目撃しているので、今夜はカジノ(宿泊ホテルの前がカジノ)で勝負事もいいかもしれない。シリウスは時速100kmという高速で飛ぶので、なかなか写真には収められなかった。

キュランダ村にはアーティストが自作の商品を売っているマーケットがある。ヘリテージマーケットがそれ。アクセサリーや小物、民芸品などが所狭しと並べられているマーケット内を散策。

10cm四方の色とりどりの七宝焼きのようなマグネットに目が留まった。オーストラリアらしいカンガルーやコアラ、プルメリア、ハイビスカスなどのイラストが描かれPhoto_15ている。店員の説明によると、ケアンズに在住の作家が作ったもので、セラミック製だとか。マグネットもしっかりしているので、3つチョイス。コアラの表情に何とも癒やされるではないか。

街にあるゴミ箱や道路案内表示板、手すりなど、一つずつが作品のように芸術性を帯びている。カラスやカマキリなどの動物たちや、曲線を生かしたデザインが散りばめられている。さすがに芸術家たちが集まる村だけのことはある。見て歩くだけでも楽しめる工夫が、最高級のおもてなしとなっている。

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高原列車の車窓から

Photo_13キュランダからケアンズまでは、一時間半かけてキュランダ・シーニックレールで下りる。エンジと白の二色に塗り分けられた木製のレトロな列車は、『世界の車窓から』という短いテレビ番組で、10年間オープニングに登場した列車でもあるのだそう。この番組は見たことがあるが、この列車の記憶はなく…。有り難みに欠ける私。

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1886年に敷設されたこの高原列車は、観光鉄道として、世界中の鉄道ファンから注目を浴びているという。乗車してみると、その人気の高さに頷ける。バロン滝や視界が開けるポイントでは、減速してくれる。

Photo_16列車は指定席となっていて、私が乗った3号車は、全員日本人。他の車両より、若干空いていた。

途中、バロン滝が見下ろせるバロンフォール駅で10分間停車したが、その後は動植物たちの貴重な森林の斜面を沿うように下り続ける。停車に合わせ私もバロンフォール駅でホームに降りた。バロン滝は、早い乾季を迎えて水量が少なめだった。乗車中は、世界遺産の森を目に焼き付けるように車窓に食い入っていた。滝あり、ヘアピンカーブあり、トンネルあり、グレートバリアリーフを見下ろすポイントありと、飽きることがない。

Photo_17窓から入る緑の風がさわやか。キュランダ村で歩き回り、ほてった体に心地が良い。とろとろ走る列車の速度に、最後はまぶたまでがとろとろになった。海外の列車内で、自分の荷物も気にせずに、こんなにリラックスできるのは珍しいことだ。 

 

シーフード三昧と最後の夜

ホテルには戻らず、そのまま夕食へ。気になっていたシーフードレストランがあったので、ケアンズ最後の晩餐はそこでオーストラリアの海の幸をいただくことにした。海の見えるテラス席に腰を据えた。

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ケアンズでは漁獲高は多くないらしく、多くをシドニー周辺から運んでくるという。しかし、ケアンズの泥地に生息するマッドクラブ、これは絶品だという情報をあちこちから仕入れたので、試す価値有りだと判断し、マッドクラブが盛り付けられているシーフードプラッターを注文することに。価格は恐ろしいことに時価。尋ねる前に、店員が「今日はA$65です」と教えてくれた。他に、店員おススメのムール貝のガーリッククリームソースも合わせて注文。最後の晩餐にふさわしい料理がテーブルを飾った。

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一番右端の大きなカニから左回りに、マッドクラブ、エビ、バグ(セミエビ)、ブラマンディ(写真では見えない…)フルーツの盛り合わせ、ガーリックバターソース、ガーリックライス、イカリング、チンゲン菜。

後ろや隣のレストランの客(テラス席なので、隣のレストランのテラス席の客までの距離が近い)の視線を感じながら、マッドクラブに挑む。半身とは言え、ボリュームはたっぷり。総食事時間2時間。カニ相手とは言え、かかり過ぎ。

お腹も心も大満足。レストランの雰囲気も良く、逐一グラスの水を注いでくれたり、料理の味つけを確かめたりしてくれたりした。

そのままホテルへ帰る気分になれなかったので、隣のアイスクリームショップで、シングルのアイスクリームを買って、目の前の海に面する広場へ。この広場でノンビリするのも最後。初日にボードウォーク上を散歩し、ケバブの昼食を食べ、野鳥たちと戯れ、サタデーマーケットでペンダントとステンドグラスを購入し、今こうして南十字星を見上げながらアイスを頬張っている。ホテルから目の鼻の先という立地から、滞在中、何度も足を運んだ。水着姿の若者たちが集まってくるのも十分わかる。

幸せな時間をかみ締めながら、21時を回ったというのに街歩き。治安が良いからできること。ケアンズの夜は、この時刻ではまだまだ宵の口。レストランやカフェが建ち並ぶ海外通りは、深夜まで観光客や地元民で賑わっている。最後のショッピングとばかりに、ブラブラ。帰国前夜までお土産選びとは…。この日の就寝は、日付をはるかに越えていた。

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2008年11月 7日 (金)

馬車道散策2 ~エキゾチックな顔~

情緒あふれる港町横浜には、旧跡・名所など見どころが多い。とても一日では見ることができない。馬車道に至っても、一日かけてノンビリ歩いても十分なほど。およそ500mの距離なのに。

開港以来の歴史を物語る古い建造物の一部をご紹介。銀行として使われていた建物が多く、まるで日本のウォール街のよう。

★日本興亜馬車道ビル(1922年建築、1989年改築)
 旧川崎銀行横浜支店。ゴツゴツした石造りのファサードは
 当時のまま。中にはレストランやブティックもある。
 横浜市認定歴史的建造物。
 豪華なので、なかなか中に入る勇気が出なかった。

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★神奈川県立博物館(1904年)
 関東大震災でドームは焼失してしまったが、無事に残った
 石造り部分は、横浜大空襲にも耐え、100年以上の時を
 見守ってきた。内部には横浜正金銀行として使われていた
 名残が残っている。国の指定重要文化財。 
 日本橋、赤レンガ倉庫などの建築を手がけた妻木頼黄氏の
 作品。ドームの  高さは18.7m。
 まるでヨーロッパにある建物のよう。ミュージアムショップ
 には、横浜土産にピッタリのマグカップやポストカードなどが
 多数ある。

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★旧富士銀行横浜支店(1929年)
 二つのファサードの中央に柱礎を持たないドリス式の
 オーダー円柱を備え、二階の窓は半円窓になっている。
 2003年に横浜市認定歴史的建造物となっていて、
 現在は東京芸術大学映像研究科として使用されている。
 クラシックな落ち着いた佇まい。

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★横浜第二合同庁舎(1926年)
 生糸検査所だった建物を1990年に復元。復元されたのは
 外観だけ。建物の中央上部には巨大な蚕蛾のレリーフが
 あり、隆盛を極めた生糸貿易の名残をとどめている。
 ここは馬車道ではなく、一本通りを隔てた万国通りになる。

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★横浜アイランドタワー(横浜銀行旧本店別館)
 これも横浜市認定歴史的建造物。重厚な外観の低層部は
 1929年完成。印象的な円形バルコニー部分はオリジナル。
 今は、超高層ビル(119m)と合体されていて、新旧の
 美しさを併せ持つ。

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掲載した写真の建物は、全て夜になるとライトアップされる。夜には夜の、昼間とはまた違った表情を見せてくれる、これらの歴史建造物群。どれもこれも非情に個性的だった。

少し予習しての馬車道散策だったので、発見した時の感動もプラスされた。久しぶりの馬車道散策で知った、当時の頑健な旧銀行等のエキゾチックなアンティークビルは、今も、私たちにハマの小粋な風を伝えてくれている。

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2008年11月 5日 (水)

馬車道散策1 ~横浜はじめて物語~

Photo_8馬車道(ばしゃみち)。エキゾチックでロマンの香り漂うその言葉の名前を持つ通りが、横浜にある。

日米通商修好条約が結ばれた江戸末期、貿易のために開かれた横浜港周辺には、多くの外国人が住んだ。彼らが、居留地と横浜港の間のこの道を馬車で通ったことから、馬車道と呼ばれるそうになったという。

Photo_7学生時代は、映画を観に足を運んだ記憶がある。夫は、エンゲージリングを探しに歩き回った街なんだとか。後で知ったことだが、私に内緒で、納得のいくエンゲージリングをかなり探し求めたそうだ。感激のあまり胸が熱くなったっけ。

お互い、そんなそれぞれの思い出に浸りながら、初めて一緒に歩く馬車道。通りに立っただけで、期待感が膨らむというもの。ちょうどこの日、商店街ではおまつりが行なわれていた。

そして、ここは、港町ならではの『はじめて物語』も多く存在していることでも有名なのだ。その一部をご紹介。

★乗合馬車(1869年)
 馬車道というだけあって、日本で初めて乗合馬車
 走ったのが、この横浜(吉田橋)-東京間だそうだ。
 おとぎ話の中に出てきそうな馬車だが、道路も舗装
 されていない時代の馬車は乗り心地が悪いもの
 だったはず。
 チェコのプラハ城で一度馬車に乗ったことがあるが、
 森の中に響く蹄の音が、中世へタイムスリップした
 かのようだった。

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★アイスクリーム(1869年)
 あいすくりんという名前で発売されたのが我が国初の
 アイスクリームと言われている。
 日本アイスクリーム協会が制定したアイスクリームの
 日
である5月9日には、毎年無料でアイスクリームが
 振る舞われる。この様子はテレビのニュースでも見た
 ことがある。下の写真は『太陽の母子像』。
 卵の風味豊かなあいすくりんは私も大好き。この日、
 馬車道あいすを夫と一緒に味わった。

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★近代街路樹(1867年)
 馬車道の商店街が通りに沿って松や柳を植えたこと
 から、ここに近代街路樹発祥ノ地の記念碑を建立
 したのだそう。
 近代がいつのころからなのか疑問ではある。東海道
 五十三次の時代にも、すでに街路樹はあったと聞く。
 こういったものは多い方が楽しい?

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★ガス灯(1872年)
 1870年に設立されたガス会社により、神奈川県庁付近
 から馬車道に向かって600mあまりに、十数基の街灯が
 点灯。日本ガス協会は10月31日をガス記念の日
 しているそうだが、こんな記念日もあるのだなという感じ。
 オシャレなデザインのガス灯は、灯るとさらにロマン
 チックな雰囲気を醸し出してくれる。

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★日刊新聞(1871年)
 日本初の日本語の日刊新聞である『横浜毎日新聞
 創刊。西洋紙に初めて鉛の活字で印刷された。貿易都市
 横浜の経済情報誌としての役割を担い、関東一円に
 読者を獲得していたそうだ。
 馬車道の近くにあるニュースパーク(日本新聞博物館)、
 一度は見学に行きたいと思っている。博物館好きの私が
 まだ行っていないのが不思議。

 

今回、夫が馬車道を散策してみたいと言い出さなければ、知ることがなかったことがたくさんあった。歴史ある地だからこそ、その歴史を少し繙いて、散策してみると、さらに味わい深い馬車道の魅力を再発見できるというものだろう。教科書にはあまり載っていないような歴史探訪もいいものである。

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2008年10月19日 (日)

鎌倉散策で発見したもの

夫の両親を案内した鎌倉で発見した諸々のもの。何度か訪れているのに、初めて知ったものや銘菓などをご紹介。

 

1.さざれ石
  国歌『君が代』に出てくる「~ さざれ石の 巌となりて ~」のさざれ石が鶴岡八幡宮境内にあったとは!ちょっと人垣もできていた。

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2.鶴亀石
  鶴岡八幡宮には名物石が多いらしい。こちらは水をかけると、鶴と亀の模様が浮き出て来るという石。水がかかっていたのだが、鶴と亀の模様は確かめられなかった。

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3.桜門の八幡宮の文字
  知っている人は多いと思うが、石段を昇りきった先にある桜門に掲げられている八幡宮の額。“八”の文字は二羽の鳩から成っている。

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4.鎌倉大仏に羽
  横から見た鎌倉大仏。背中に天使の羽のようなものが!

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5.鎌倉銘菓
  鎌倉銘菓と聞いて、まず最初に脳裏に浮かぶのはおそらく“鳩サブレ”だろう。鎌倉にはもう一種類サブレが存在する。それが、この江ノ電サブレ。バター味、チーズ味、ココア味の三種類あり、江ノ電をかたどっている。

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2008年7月31日 (木)

夜空の太陽

昨夜、実家のある都市で開催された花火大会に行った。会社帰りの夫と待ち合わせして。

いつもは隣町で見るのだが、今回は正面から見える位置に陣取り、今か今かと打ち上がるのを待った。育った街ということもあり、見覚えのある顔がチラホラ。ご両親と姪御さんと来ていた親友とも、偶然バッタリ。

ここの花火大会、今年は7000発、上がるらしい。かなりの数だ。夫曰く、上げ方がうまいのだそう。確かにそれは言えるかもしれない。煙をうまく避けるように、あちこち上がる位置をずらしているのがわかる。色のバランスもいい。間合いは特にいい。

私は質もいいと思っている。まあるく咲く菊の花のような花火だけではなく、ネコやキャラクター、リボンなどの形をした珍しい花火も打ち上がる。火花が細かく移動したり、何色にも色が変わったりするものもあり、観る者を飽きさせない。毎年、同じ花火だけではなく、違ったデザインのものが上がるので、新鮮さがある。

夫の「ここの花火は日本一だ」の一言が、この街で育った者の胸の奥深くをくすぐった。4年前にも名言を言っていることが、昨年のブログからも読み取れる。

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2008年6月16日 (月)

かりゆしぬ宴

沖縄民謡の世界へ

沖縄を一人旅していた時に出会った人は数知れず。札幌に住む一人の女性とも知り合いになった。

彼女は添乗員の仕事をしているそうだが、月一回ほどの割合で訪沖して、沖縄民謡を習っているということだった。既婚者なので、贅沢な身である。

その彼女から、沖縄民謡のライブの案内が送られて来た。東京で開催されるライブだ。彼女の師である大城美佐子さんが出演するという。

大城さんは沖縄民謡界のトップスターであり、数多くの映画にも出演されている方。那覇でたまたま入った民謡酒場が大城さんのお店であったことから、翌日本島ドライブに誘ってもらったことがあった。当時はそんな大物だとは露知らず、美ら海水族館や焼き物工場などに案内してもらった。

夫も興味を示し、ライブ『かりゆしぬ宴』へ申し込んだ。日時は5月17日(土)19時開演。そう、一ヶ月近く前の話。記事にしようと思いながら、ついついこんなに遅くなってしまった。書きたいことが多くて、追いつかない。

 

唄者勢ぞろい

出演者は大城美佐子さん、安里勇さん、具志堅京子さん、後冨底周二さん、川門正彦さん、寿、名護良一さん。石垣島から来られた唄者の方が多い。最南端の波照間島からの方もいらした。みな、実力の持ち主。

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日本人の心に奥底に響く歌声。懐かしい三線(さんしん)の音色。灼熱の太陽の光が降り注ぐ沖縄の空気感がそこにはあった。

観客の多くは、何度も沖縄に足を運んだことのある沖縄フリークが多いように見受けられた。顔見知りの主演者が紹介されるたびに大きな拍手がわき、手拍子も慣れたもの。まるで、沖縄のどこかのホールで開催されているかのような雰囲気だ。

心地良い八重山民謡の調べが響く。民謡はほとんどがウチナー口(沖縄の言葉)なため、歌詞は全くと言っていいほど、わからない。曲名で想像するしかない。それでも人間の心、豊かな自然の本来の美しさを唄っているのだということが、ヒシヒシと伝わって来る。作者の思いが込められている珠玉の曲の数々。観客の心を、八重山の海の水が浸していく。

最後は、やはりカチャーシーでシメとなった。カチャーシーとは「かき混ぜる」という意味で、祝いごとの最後に行われる自由なスタイルで舞う踊り。お祝いでなくとも、沖縄の宴会の最後に老若男女、みんなで賑やかに踊るそうだ。

私も、今までに何度か、カチャーシーを踊らされる場に居合わせた。最初は恥ずかしくてできなかったが、勧められたり、周りにも初めて踊る人がいたことなどから、やらないことの方が恥ずかしく思えてきて、今では楽しんでできるようになった。手首と全身をクネクネさせる動きは、やり慣れていない者にとっては正直難しい。が、「正式な形といった形はない。好きなように体を動かせばいいんだよ」と教えてくれたおばぁの優しい一言に、テレの皮がむけた。

八重山の波の音をゆりかごにして、かりゆしの夜が更けていった。

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2008年5月 7日 (水)

八重山旅行二日目 ~赤瓦屋根の民家が残る島・竹富島~

新しい離島ターミナル

昨夜(4/21)、少し雨がパラつき始め、嫌な予感がしていたのだが、今朝、それは現実のものとなってしまった。ホテルの窓の外には、できれば外出したくないと思うほど大きさで、雨粒が落ちてきていた。この先の天気が、非常に気になる。

今日は竹富島へ渡る。石垣島から竹富島までは10分の船旅。竹富島では二泊する予定。

Photo_3噂では聞いていたが、離島ターミナルが新しくなっていた。完成したばかりといった感じで、建材の臭いが漂ってきそうなほどキレイだ。前回(4年半前)来た時、どんなターミナルだったかまでは覚えていない。こんな大きな離島ターミナルはなかったような…。

ターミナル内はゴールデンウィーク前だからか旅行客の姿は少ないが、修学旅行生だろうか、高校生の列は見られた。船を待つ旅行者は、みな、これから訪れる島への期待と雨天の無念さが入り混じった表情を浮かべている。

風があったせいか、竹富島までの高速船は、多少揺れた。横揺れではなく縦にジャンプする感じは、石垣島を往復する高速船の特徴だ。

 

離島に泊まるなら民宿

今晩・明晩は、【のはら荘】とPhoto_4いう庭先にブーゲンビリアの花が咲き乱れる民宿に宿を取っている。前回訪れた時に、のはら荘に宿泊すればよかったと後悔したほど、外観が魅力的な民宿だ。

港に迎えに来ていたのは、一年半ほど前に名物おじぃから民宿経営を引き継いだという、おじぃと呼ぶには気が引ける若さの、のはら荘のご主人。日に焼けた素肌がまぶしい。気さくな人柄に、すぐに打ち解けることができた。

宿に到着。昨夜の宿泊客が、雨の竹富島での過ごし方はこうだと言わんばかりに、庭先のゆんたく(おしゃべり)場所でカードゲームや知恵の輪に興じていた。みな、私たちに「こんにちは」と声をかけてくれた。突然の声かけに、照れくさいような嬉しいような…。今夜、宿で行われるであろうゆんたくに期待が弾む。

早速、夫と竹富島観光開始。宿の自転車で、港近くにあるゆがふ館に行ってみることに。でも、雨は止まず…。傘を差しながらの自転車運転は違法行為だっただろうか。初めてなので、うまく自転車が漕げない。風に傘が煽られるたびに、自転車を一旦停止。こんな運転はやはりしない方がいいことが身にしみてわかった。バチが当たったのか、ピアスを片方なくしてしまった。一番最初に買ったピアスだっただけにガックリ。

ゆがふ館は八重山初心者にはいい情報発信源となる場所だった。離島病・沖縄病を発症し、何度か沖縄に足を運んでいる者にとっては、10分もあれば十分。ピアスをなくしたショックもあり、サラッと見ただけで集落に戻ることに。

竹富島には、車エビの養殖場があり、全国20箇所の市場に出荷しているそうだ。竹富産の車エビを食すため、車エビの入った野菜そばが人気のやらぼという食堂に入った。

店内は雨漏りがしていて、ちょっとビックリしたが、気を取り直して、一番人気のエビ入り野菜そばを注文。車エビが6匹も入っている。材料費の高騰により…ということで、価格がガイドブックに記載されている価格より300円増しの1500円になっていた。物価高騰の波が押し寄せているのは、のどかな南の島も同じようだ。

Photo_2夫は、運ばれてきたそばを見て、肩を落とした。エビ入りのエビを、エビ天と間違えたのだそうだ。殻付きの車エビが乗ってくるとは想像していなかったようで、ブツブツ言いながら殻をむいていた。食べるまでに時間がかかる料理は嫌いなんだとか。そうか、覚えておこう。

 

雨の竹富島

雨が止んだので、昼食後は、集落を散策してみることに。実際、訪れてみないとわからないことは多いものだが、この降雨により知ったことが一つあった。

なんと、この島の水溜りは白いのだ。島の集落の道に敷かれている真っ白いサンゴの色を反映しているからだろうか。サンゴで雨水が白濁するのだろうか。考えたこともなかったが、雨がもたらしてくれた素敵な光景。こんなことにすら感動してしまう、今の私。離島病、再発しそう。

竹富島に流れる時間は、都会のそれとは確実に違う。止まってしまっているのではないかと疑いたくなるほど、何もかもが、ゆったりのんびりしているのだ。動きの早いものが目に写らない。自然と歩がのろくなる。

竹富島の目玉観光の一つに、Photo水牛車がある。水牛が引くどの牛車にも、大勢の観光客が乗っている。ツアーに組み込まれているのだろう。団体でやって来る観光客は、石垣島からサーッとやって来て、サーッと帰って行ってしまう。竹富島の良さは、宿泊してみなければわからないというのに。忙しい現代人、仕方のないことかもしれないが、ここまで来ていてもったいないと、ついつい思ってしまう。

私たちはというと、そんな忙しそうな観光客を尻目に、のんびりとアイスキャンディーを舐めながら、島で唯一の駄菓子屋だという店先のベンチで一休み。雨上がりのひんやりとした空気が、肌に心地良い。

集落の散策はやはり徒歩が一番。赤瓦の民家の屋根の上には、様々な表情・格好をしたシーサー(守り神)が鎮座している。一軒一軒違うシーサーを見て歩くだけでも十分に楽しい(シーサーの写真はサイドバーに)。450

 

 

 

 

 

 

  

  

今夜の宿泊者は全部で14名。全員が集まってから食事開始となる。八重山そばに黒米ご飯、お刺身、ポークソテーなどの夕食の最中に、宿のご主人が「夕日がキレイに見えてきたよ」と教えてくれた。さっきまで、厚い雲に覆われていたから、今日の夕日はお預けだと覚悟していたのだが、期待できそうな雰囲気に。太陽が沈まないうちに西桟橋へ向かうため、みな、夕食を急いで胃袋に納めた。

のはら荘は、夕日がキレイに見えることで有名な西桟橋に、一番近い民宿である。西桟橋にはちらほらと人が集まり始めていた。今日の終わりを告げながら、夕日は西表島へと隠れていく。沈みかけた夕日の落ちる速度は非常に速い。まばたきするのもためらわれるほどだ。

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民宿の良さを知るゆんたく

八重山の民宿独特のゆんたくは、夜に開催される。のはら荘でも、もちろん毎晩開催されているようだ。

ゆんたくとはおしゃPhoto_4べりといった意味。夜、宿泊者全員が集まって、泡盛で乾杯しながら、おしゃべりしたり、三線(さんしん)を奏でたりする。最後は、決まってカチャーシーという沖縄の踊りを舞ってお開きとなる。民宿ごとに多少趣が違うものの、宿のご主人と旅人同士が語らいの場を設けるのはどこも同じだろう。どこの民宿でも、夕食後はゆんたくで賑やかになる。この時が、まさに、旅人同士が仲良くなるチャンスなのだ。

Photo_3のはら荘の中庭に宿泊者全員が集い、ゆんたく開始。80歳を超える宿のおじぃが、まずは挨拶&自己紹介。そして、宿泊者も順番に自己紹介。

全員、初めて会った人たちなのに、そう思えないのはどうしてだろう。こんなに大勢で集まっていても、緊張するどころか、気持ちがいいのだ。居心地がいいというか…。この島には、そういった不思議な空気が流れているのだ。それは竹富島へ来てみなければわからない感覚。泊まってみなければわからない心情の一つ。

現在ののはら荘のご主人の三線による伴奏で、全員で賑やかに沖縄民謡を唄う。知っている曲もあれば知らない曲もある。歌詞カードが用意されているので、知らない曲でもすぐに唄えるようになるところがすごい。

曲の中に『てぃんさぐぬ花』があった。すっかり歌詞の意味を忘れていた。私の最初の訪沖は高校の修学旅行の時。その時に、この唄の歌詞を国語の授業で勉強したはずなのに…。ご主人が意味を教えてくれた。みるみるうちに視界がぼやけていき、唄えなくなった。父の顔がまぶたに浮かんだ。

  てぃんさぐぬ花や
   爪先(ちみさち)に染(す)
みてぃ
   親(うや)ぬゆし言(ぐとぅ)

   肝(ちむ)にすみり

(訳:てぃんさぐぬ花(鳳仙花)は、魔除けとして爪先に染めて、親の教えは心に染めなさい)

二 夜走(ゆるは)らす船(ふに)
   にぬふぁ星(ぶし)目当(みあ)
てぃ
   我(わ)ん生(な)ちぇる親(うや)

   我(わ)んどぅ目当(みあ)てぃ

(訳:夜走る船は北極星を見ている。同じように、親はいつでも私の生き方を見ている)

三  天ぬ群星や
   読みば読まりしが
   親ぬゆし言や
   読みやならん

(訳:天空の星は数えられるかもしれないが、親の言葉は計り知れないほど大きい)

沖縄民謡には、人々の熱い心とともに人情あふれる教えも唄われている。心地良い三線の音色と歌詞がマッチして、私の精神を揺さぶった。ここへ来て、この島へ来て、本当に良かったと思った。

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