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2010年6月

2010年6月28日 (月)

色の本 ~アロハな色~

ハワイの写真集を見つけた。背表紙のタイトルを目にしただけで心惹かれ、手に取り、表紙を見たら、一瞬のうちにハワイ時間に浸った気がし、全身の筋肉が緩んだ。

就寝前、ページをめくってみた。カラフルなハワイの写真が、目の前を通り過ぎていく。特に、訪れたことのあるオアフ島とハワイ島のページには釘付けになった。

写真集は、色ごとのカテゴリーでまとめられており、レインボーから始まっている。ハワイで虹はよく見ることができる。車のナンバープレートにも虹があしらわれている。名物シェーブアイスも虹色。父と一緒に、いっ時、涼を得たことを思い出す。

ハワイ固有種の白いハイビスカスや噴火した地層に含まれている物質が砕かれた緑の砂浜(グリーンビーチ)、日本では大騒ぎになりそうなピンク色の建物(ロイヤルハワイアンホテル)、オヒアレフアの真っ赤な花、流れ出た溶岩の黒。多彩な色が存在していることを改めて感じた。それぞれの色の主張はしっかりあるのに、うるさくならず、街にマッチしているのがハワイの特長かもしれない。

この写真集は、心身ともにゆるゆるになる。寝る前に読めば子守唄代わりに、休日の昼下がりに眺めれば大自然のBGMを奏でてくれる。キラメク太陽、心地良い潮風、さらさらの砂、甘く熟したパイナップルなどが、次々に現れては消える。自宅が癒しのサロンに変身。写真集は視覚だけではなく、聴覚、嗅覚、味覚、触覚と五感をフルに使って楽しめるものなんだ。

色で旅するハワイ Book 色で旅するハワイ

著者:高砂 淳二,山下 マヌー
販売元:文藝春秋
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2010年6月23日 (水)

沖縄戦没者慰霊式典

今日、沖縄県糸満市で、沖縄戦没者追悼式典が開催された。首相も沖縄入りして、弔辞を述べているところを、テレビ中継で見た。

沖縄では、組織的な戦闘戦が終わった6月23日を慰霊の日としており、官庁や学校などは休日として、県民全員で、戦没者に祈りを捧げる日となっている。沖縄独自の休日である。戦没者への弔慰の念・祖先を敬う姿勢は、他都道府県より強いものがあると感じる。

普天間基地の移設問題で、今年は、沖縄が大注目された。軍機の騒音問題だけではなく、米軍関係者による事故や事件などの危機に、いつも脅かされているのが現状である沖縄。平穏な生活は、誰もが保証されていなければならないにもかかわらず、沖縄ではそれが守られていない。国内に、こういった県があることを、国民全員が知っておくべきだと思う。

「未だ収集されない遺骨が多くあり、不発弾も多く残っている。そして文化遺産等、多くのものを失った。…中略…沖縄は、国際社会へ恒久平和の発信拠点になっている」沖縄県知事の誓いが、涙を誘う。

過重な基地負担が軽減されるよう、悲惨な戦争が繰り返されないことを、私も願って止まない。

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2010年6月21日 (月)

通勤電車内のひとコマ

出勤途中の電車内。片手に松葉杖をついた女性が乗ってきた。席を譲った。女性はお礼を言って、着席した。

しばらくして、目の前の席が空いた。その席に背を向けていた高齢の男性に空席を知らせようとしたら、別の方角から「座ってもいいですか?」と初老の女性から声をかけられた。「はい、どうぞ」と頷いた。

次の停車駅で、目の前に座っていた先ほどの初老の女性が、「私は次の駅で降りますから、席を替わりましょう」と声をかけてくれた。「私も次の駅で降りますから、大丈夫ですよ。ありがとうございます」と返事をした。そんなふうに言ってもらえるなんて、思ってもいなかったので、嬉しくなった。

初老の女性は、降りしなに、再度お礼の言葉を口にされた。松葉杖の女性も同じ駅で下車。彼女も再度お礼を述べてくれたので、「お大事に」と言って、別れた。見ず知らずの二人の女性と心を交えた会話をした気がした。

どこにでもある朝の何気ないひとコマ。電車で出勤するということから久しく遠ざかっていた私にしてみれば、何気ないひとコマではなく、心に温かい風が吹き抜けたような出来事であった。主婦は、家族以外に「ありがとう」と言ってもらえる回数は少ないのだ。

この日は、前日に急きょ出勤依頼があり、通勤電車に乗った。本来であれば、まだベッドの中にいる時刻であった。出勤を快く引き受けたことが巡り巡って、朝から気持ちよい出来事につながった気がした。

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2010年6月14日 (月)

教えてください ~迷惑投稿対策~

私の知人が、職場のHPの掲示板へのスパム投稿の多さに辟易しています。

HPを初めて閲覧した方からの問い合わせや既閲覧者からの投稿などで、毎日数百のアクセスがあるHPだそうです。投稿者同士の懇親も兼ねていて、投稿者同士がオススメURLや添付画像などを楽しんでいるのだそうです。

普段は、知人が迷惑投稿を見つけては削除するといった方法しか取れていなく、いたちごっこだそうです。先日、IPアドレスの拒否設定をアドバイスしましたら、管理者に依頼して、即実行されたそうです。そうしたら、以前よりも迷惑投稿が増えたそうです。スパム投稿(迷惑投稿)は、ほぼ毎日投稿されているようです。日本語の文章と画像の組み合わせだといいます。

どなたか、効果のある“掲示板への迷惑投稿対策”をご存知でしたら、教えてください。よろしくお願いします。

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2010年6月13日 (日)

懐かしのヒーローデザイン缶

何気に視線を送った自動販売機に、懐かしいヒーローもののデザイン缶のジュースを発見。ウルトラマンコーラ、バルタン星人レモネード、仮面ライダーサイダー。しかも、100円。飲んでいる大人がいたら、カッコイイだろう…ね。

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2010年6月10日 (木)

被害妄想

とある場所で知り合った一人の男性。彼は「品川と申します」と名乗った。

一週間後、彼と連絡を取るために、教えてもらっていた勤務先へ電話をし、呼び出してもらった。「品川と申す者は、こちらにはいませんが…」と予想だにしていなかった返答に戸惑った。

偽名を使ったのか。憤慨するより、憮然としてしまった。騙されたような気がして、肩を落とした。会わなければならない事情を説明したところ、その男性は品川ではなく吉永という名前だと判明した。ちょうど外出中で、かけ直すことを約束し、電話を切った。後日、吉永氏とは電話がつながり、用事を済ませることができた。

品川と吉永。漢字で二つの名字を見比べ、まるっきり異なる名字にどうして間違えたのかわからなかった。でも…。シナガワ、ヨシナガ、シナガワ、ヨシナガ…と何度か唱えていると、“シナガ”が共通であることに気づいた。偽名を使われたわけでも、騙されたわけでもなかったのだ。本当に聞き間違えただけだったのだ。ガッカリすることも、自分を哀れむこともなかった。

誤りが修正されれば、ただの笑い話となる。誤解を解かなければ、人間関係が絡まったままになってしまう。世の中、意外とこの手の話は多いのではないだろうか。

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2010年6月 5日 (土)

なんじゃもんじゃ

東京スカイツリー、巣鴨と東京見物して歩いたこの日の最後は、月島で夕食。ここからもスカイツリーが見えるのかと思っていたが、見えないとのことだった。完成したら、先端くらいは見えるだろうか。

月島と言えば、もんじゃ焼き。東京下町の味の代表。月島は、もんじゃ焼き目当てに何度か足を運んだことがある。数十軒も連なるもんじゃ焼きのお店の中で選んだのは、駅からも程近い店。理由は歩き疲れたから。

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ここでは店員さんは、もんじゃ焼きを焼いてくれた。シーフードがたっぷり入ったもんじゃ焼き。出来立てアツアツをおいしくいただいた。

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帰るのが惜しいくらい、充実した一日だった。東京一泊旅行にしようか迷ったのだが、日帰りでも行きたい場所は十分回れたので、日帰りで正解だった。考えてみれば、通勤している人もいるかもしれない距離だし。心もお腹も大満足

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2010年6月 3日 (木)

不惑を迎え心の迷いなし

昨日、二回目の成人式を迎えた。ほぼ人生の折り返し地点だろうか。こんなに長く生きてきたことに感慨無量。波乱万丈の人生となっているが、よく、生きながらえたものだと思う。そう思ったら、両親に感謝の気持ちが膨れ上がってきた。

午前中は父の墓参。一人で訪れたのは初めて。墓地の清掃をし、お花とお線香、お供え物を供え、手を合わせた。「お父さん、私は今日で40歳になりました。あなたの娘は、今日、40歳になったのですよ」と伝えた。そして、心の中から素直に湧いてきた感謝の気持ちを述べた。天候のせいで額には汗が、頬には涙が伝った。

午後は実家へ向かった。母に宛てた手紙を置きに。この手紙、誕生日を迎えるに当たって、母に対する現在と過去の私の気持ちを綴ったもので、便箋7枚にもなった。母は不在だったので、郵便ポストに入れてきた。

節目となる誕生日に、両親へ感謝の気持ちを抱き、それを伝えられたことに満足。こんな機会でもなければ、なかなか自分の気持ちを親に伝えることはないだろう。今、私がここに存在しているのも、父と母が生まれてきてくれたから。そして、その命は祖父母から受け継がれたもの。つながってきた命のリレーに感涙。

30歳の誕生日は出生地を一人で訪れ、感慨に浸り、親族に挨拶して回った。40歳の誕生日は両親に感謝の意を伝えて回った。大きな節目の誕生日に、このように自分の誕生を心から喜べ、周りの人々に祝ってもらえることの幸せをかみしめた。50歳の誕生日はどこで迎え、どんな誕生日になるのだろうか。

夕方、母から手紙を読んだ旨の電話がかかってきた。夫はバースデーケーキを買って帰宅した。何から何まで、心震える感動と感謝の念が絶えない日となった。

“今”という一瞬を懸命に生きる。未来はその積み重ね。今を大事にすることで、希望通りの未来が待っている気がする。日々頑張り続けることは難しいけど、無理なく、自分なりに「こうだ」という生き方ができれば、晩年になって人生を振り返った時、「いい人生だったな」と言えるのではないかと思う。

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