エッセイ大賞応募作 ~桜舞う中で~
皆様、前の記事へのコメントをありがとうございました。今回の出版の件では、皆様の貴重なご意見を伺うことができて、大変嬉しく思っております。応募したエッセイをご覧になりたいとおっしゃっていただきましたので、アップしたいと思います。
日常生活で記録として残したおきたいと思った出来事は、ほとんどブログの記事にしていますので、二年前からこのブログを訪問してくださっている方にとっては、新鮮味が薄いかもしれません。感想がございましたら、お聞かせください。
桜舞う中で
実家へ向かう道すがら、ふと見上げた青空に、桜の花びらが舞っていた。今年の桜も、もう終わりなのだと思ったこの日、桜の花が散るように、父の命も散ってしまった。あの日から、もうすぐ二年が経とうとしている。
胸の痛みを訴え、父が緊急入院したのは、二年前の三月中旬。体調を崩してから数年間入退院を繰り返していた父だが、「今回の入院はいつもの入院とは違うようだ」と母が言っていたのが、辛くのしかかっていた。見舞った時の病身がやけに痛々しく、嫌でも覚悟をしなければならない状況だった。
夫と一緒に父を最後に見舞ったのは、息を引き取る数時間前のこと。渡そうと思っていた新年会の写真を見せ、カキ氷を食べさせてあげたのが、父との最後の時間となった。死の恐怖を和らげるために打たれた薬の影響か、写真に写っている自分の姿を指差すのが精一杯の父は、自宅で撮影されたにもかかわらず、どこで撮影された写真なのか理解できない様子だった。
今思うと、父は自分の命の火が消え入りそうなことを悟っていたのかもしれない。別れの言葉のように、夫に「頑張って」と力強く呼びかけた言葉が耳に残っている。娘をよろしく頼むというニュアンスが含まれていた。病室を後にする私たちに向かって、点滴をしていない方の手を突き出し大きく振っていた姿が、生きている父の最後の姿となった。そして、父と交わした最後の言葉は「おやすみ」だった。
父に対して、悔いはない。精一杯の親孝行ができたとは言わないが、父に娘の幸せな姿を見せてあげられたのは良かったと思っている。晩年、闘病生活を続ける中で、最大の喜びは、一人娘である私の結婚だったようだ。夫が結婚の挨拶をしに家に来た時、頑固オヤジという表現が似合う強面の父が、人目をはばからず涙を流して喜んでくれた姿が思い出される。唯一心残りとして挙げるとすれば、孫の顔を見せてあげることができなかったことだろうか。
父が戻ることのない旅に出発した数週間後、私は悲しみを癒すために、遠く沖縄県の八重山地方にいた。昔ながらの赤瓦屋根の民家が点在する竹富島に宿をとり、島民のように優しい島風に吹かれていた。波に洗われ細かくなったサンゴが敷き詰められた白い小道を散策しては、どこからともなく流れてくる三線(さんしん)の音色に耳を傾けた。一つひとつ異なる容姿を持つ守り神シーサーと出会えば人生を語らい、珍しい南国の花々に目が留まれば歩を止め香りをかぎ、星の砂が眠る浜辺に出れば掌を砂に押し付け地上の星を探した。五感を使って、隆起したサンゴ礁から成る竹富島を味わい歩いた。
夕食後、沖縄の民宿ならではのゆんたく(おしゃべり)が、庭先で始まった。宿のご主人とその日の宿泊者全員がそろって、島酒である泡盛を酌み交わし、宿のご主人がつまびく三線に合わせ、島唄を歌った。三線の音色が、素朴な島の夜に響いていくのが、なんとも心地よかった。
そのいくつかの沖縄民謡の中に、心震える古い民謡があった。『てぃんさぐぬ花』だ。高校の修学旅行で沖縄を訪れた際、事前学習で習った民謡だったにもかかわらず、すっかり歌詞を忘れていた。ご主人が、歌詞の意味を教えてくれた。みるみるうちに視界がぼやけ、歌えなくなった。
一.てぃんさぐぬ花や
爪先(ちみさち)に染(す)めてぃ
親(うや)やゆし言(ぐとぅ)や
肝(ちむ)にすみり
(訳:てぃんさぐぬ花(ホウセンカ)は、魔除けとして爪先に染めて、親の教えは心に染めなさい)
二.夜走(ゆるは)らす船(ふに)や
にぬふぁ星(ぶし)目当(みあ)てぃ
我(わ)ん生(な)ちぇる親(うや)や
我(わ)んどぅ目当(みあ)てぃ
(訳:夜走る船は北極星を見ている。同じように、親はいつでも私の生き方を見ている)
三.天ぬ群星や
読みば読まりしが
親ぬゆし言や
読みやならん
(訳:天空の星は数えられるかもしれないが、親の言葉は計り知れないほど大きい)
沖縄民謡には、豊かな自然とともに人情あふれる教えも込められている。心地良い三線の音色と歌声が相まって、私の精神を揺さぶった。この民謡の歌詞が心に刻まれた。見上げれば、都会では見ることのできない星空。一生忘れられない一夜となった。
あれから、二度目の春が来ようとしている。駅前の桜樹は、今年も美しい薄桃色の衣を羽織るだろう。毎年、あの日のように青空に美しく映える桜花を愛でるたびに、父のことと竹富島での一夜のことを思い出し、心が潤うことだろう。
最近のコメント