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2010年1月28日 (木)

托鉢

半月前のこと。寒風が吹きすさぶ中、一人の僧が、街角に凛と直立していた。左手には応量器、右手には鈴がついた長い杖を掴んでいる。

応量器に銀貨を一枚入れた。「風邪をひかないようにね」と一言添えて。驚いたことに、私を一瞥し、低い落ち着いた声で「ありがとう」と返礼があった。托鉢中はずっと読経しているものと思っていたが、言葉を発することもあるのかと驚きもした。でも、正直嬉しかった。

帰宅後、托鉢について調べてみた。今は贋物の僧侶が托鉢していることもあるのだという。もしかして、もしかすると…。「ありがとう」と言うなんて、やはりおかしいのだろうか。喜んでしまったことが恥ずかしくなった。

今日、また違う街の駅前で、托鉢僧を見かけた。半月前のことがあるから、今度は喜捨せずに、しばらく様子を窺っていた。バッグから何やら取り出し、読んではしまう。視線をキョロキョロさまよわせる。目の前に立ち止まった人の動向に注目する。読経はしていない。落ち着きが全くないのだ。怪しむ目で見ているからか、その僧が贋物に見えて仕方がない。

20mほどのところに交番があるので、托鉢について聞いてみることにした。本来なら、交番で聞くようなことではないのだが…。

親切に耳を傾けて私の話を聞いてくれた巡査。上司にも話を伝えてくれ、「もし、贋物の僧侶なら、詐欺行為になります。ちょっと様子を見に行ってみます」と言ってくれた。本物の僧侶だったら疑って申し訳ないが、贋物なら、やはり善意を踏みにじられる人が一人でも出ないで済むのなら…と思うで、相談してよかったと満足して、帰路についた。

僧の格好をしていても、信用のできない時世になってしまったことは嘆かわしいし、安易に様々な募金ができなくなってしまっている事実に虚しさを感じる。

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コメント

 ぴろろさん、こんばんは。
 私も「贋物さん」 がいるというのは聞いたことがあります。そんなに挙動不審の人はそうかもしれませんね。
 でも私が今まで仕事で出会ったことのあるお坊様は、みなさん「なまぐさい」 方だったもので、修行中ならがもっと「怪しい」 かな、などとも思いました。
 友人は素晴らしいお坊様に会ったことがあると聞きました。「怪しい」 方は少数であることを望みますが。

投稿: fkmamiko | 2010年1月28日 (木) 20時20分

こんばんは・
募金もにせものがあると聞きました。
托鉢をされている僧にも怪しき人がいるなんて哀しい世の中です。
そこまでして人の善意を踏みにじったら
その人は、罰が当たりますよ!

投稿: 秋桜 | 2010年1月28日 (木) 20時59分

fkmamikoさん、おはようございます!
贋物の話、聞かれたことがありますか。私は、募金活動をされている人たちに関して、聞いたことがあります。高校生のころ、学内の活動の一つとして街頭募金活動にも参加させてもらっていたので、そういったものに募金しよう、寄付しようという気持ちは持ち合わせていましたが、全額が寄付に回るわけではないことなどとを知り、悲しいかな、募金活動をしている人を見かけても、そういう目で見てしまうようになりました。見極められる能力がないので…。
僧侶になるのに、条件はあるのでしょうかね。私が見たのは50代くらいの人で、修行するには歳がいっているのではないかと思ったのです。仏門に入る年齢に制限があるのかないのか詳しくないので知りませんが、もし贋物なら罰当たりですね。
「あなたは、どちらのお寺のなんという名前のお坊さんですか?」と聞いて、すんなり答えてくれるのであれば“本物”と認めるなんていう手もあるでしょうか。そこまでして喜捨することもないのですが…。

投稿: fkmamikoさんへ | 2010年1月29日 (金) 09時12分

秋桜さん、おはようございます!
本当に、僧の贋物がいるとしたら、罰当たりですよね。詐欺罪になるということも、昨日初めて知りました。
まだまだ優しい心の持っている人は多い日本ですから、喜捨したり、募金する人はいると思います。善意が、ありのままの善意として、困っている人や世の中のために使われることを望みます。

投稿: 秋桜さんへ | 2010年1月29日 (金) 09時22分

こんにちは。
偽物の托鉢の話は私も聞いていて、それ以来胡散臭い目で見てしまうようになりましたが、何にしろ、真贋を考えながら物事に接しなければならないのは疲れますね。
とはいえ、食べ物をはじめ売られているものの真贋、果てはネット上の情報の真贋など、疑ってかからないようなものが多すぎます。
とても個人レベルでやっていられるような量でなければ、そもそも関わらない、といったことも出てくるのでしょうね、哀しいことに。
托鉢を装い小金稼ぎをする輩には、それこそ仏罰が下ることを!

投稿: なおさん | 2010年1月29日 (金) 11時47分

なおさん、こんばんは。
皆さん、贋物の話、結構聞いていらっしゃるのですね。募金活動は聞いていましたが、托鉢までも…とは思いませんでした。僧服に騙されてしまいます。イチイチ疑いの眼差しを向け、考えるのは煩わしいので、何もしないのが一番なのかもと思ってしまいました。募金は、何も街頭だけが受付先ではありませんから、自分動くこともできるのだと気づきました。
誰でも気軽にサイトを立ち上げ、運営するようになり、インターネット上の情報の質は下がる一方です。困っていることの一つだと嘆いている人が近くにいます。
いろいろな偽装問題も世間を騒がせました。何を信じていいのかわからない時代になりつつあるのでしょうか。利益を追求するがゆえの愚かさが見え隠れします。

投稿: なおさんへ | 2010年1月29日 (金) 17時50分

こんばんは。

あたしの職場の近くにも、たまに立ってますよ。
店のゴミ捨てのとき何度かその前を通ったのですが、「お疲れ様です」と丁寧に声をかけていただきました。
贋物だったらほんと罰当たりですよね

寄付も、確実なものにしかしません

投稿: すいか | 2010年2月 2日 (火) 22時46分

すいかさん、こんにちは。
托鉢僧は人が多い場所では、未だに見かけます。基本的な修行なのでしょう。
子どものころ、街で見かけると、母から「あげていらっしゃい」とよく喜捨用の硬貨を渡されたのを覚えています。読経していて、お礼を言われたことがなかったように思いますが、言葉を発していいものなのかの判断はつきません。贋物がはびこらないといいなぁと思います。
寄付や募金も、一部を個人の収入にしているとも聞いたことがあります。確かなところを選んで行える目を養いたいものです。

投稿: すいかさんへ | 2010年2月 3日 (水) 16時54分

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