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2009年12月

2009年12月31日 (木)

年越そば

いよいよ大晦日。強風で、波が勢いよく右から左へ。南風だ。日本海側は大雪だと聞いたが、明日の郵便局員は大変だろう。どうか、ケガのないよう、みんなが穏やかな気持ちで年越しできますように…。

スーパーでは、カップに入ったおそばが、大量に並んでいる。年越用のおそばだろう。なんか、その年の最後に食べるであろう食事がインスタントとは、ちょっと寂しい。おいしいからという人もいれば、手間が省けるからという人もいるだろう。人それぞれだから、いいのだが…。

Photoそういう我が家でも、そば粉からそばを作って食べるわけではないので大きなことは言えない。おそばは買ってくる。今夜は茶そばにしてみる予定。天ぷらも揚げるので、見た目は天ぷらそばになろうか。

静かに我が家で迎える年越し。来年は、今年より多く幸せを実感できる年になることを望む。それには自身を成長させることが必要だろう。

皆様、良いお年をお迎えください。

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2009年12月24日 (木)

2009クリスマス☆デート

クリスマス☆ランチ

今年のクリスマスは、品川にあるホテルでランチバイキングをメインに企画。一度行ったことのあるレストランで、とても気に入っていた場所。昨年は、予約の電話を入れたのが遅かったため、取れなかったレストランだ。昨年の悔しさをバネに(それほどのことでもないが…)、予約可能になったその日の午前中(10月1日10時)にダイヤルした。

張り切った甲斐もあり、一段高い二人だけの独立テーブルに案内され、レストラン会場を見渡せる好位置で、ランチを楽しむことができた。和洋中と各ブースに分かれて並んでいるお料理はクリスマスを意識したメニューが少なかったが、種類が豊富なので、飽きることなく舌鼓。私のお皿は、Photo_5イカスミのリゾット・カボチャのニョッキ、キノコのピザ・カニ入りホワイトソースのペンネと、バラエティ豊かなパスタに占領。日ごろ、行きたくてもあまり行かれないイタリアン中心に彩られた。

縁とは不思議なもので、前職場の先輩・同僚の先生方とその家族に、レストラン内でバッタリ。彼女たちは10人以上のグループなので、唯一ある個室に案内されていた。帰り際、挨拶に行き、ちょっとおしゃべり。退職した後も同じように接してくれる先輩・同僚たち。みんなの笑顔に、大きな安心感を感じた。

 

埠頭

「竹芝に行きたい」と言う夫に連れられ、竹芝埠頭へ。ゆりかもめの竹芝駅直結のターミナルはガラーンとしていた。ここからは伊豆七島へ向けて毎日数便の船が就航している。人影が少ないのは、強風で欠航となっている船があるからかもしれない。

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ホットドリンクで手を温めながら、埠頭を見下ろせる公園の一角にあるベンチに腰を下ろす。スカッと晴れ渡った冬の青空が美しかった。「穴場でしょ?」とちょっと誇らしげな夫は、すでに肩をすぼめ寒そうなポーズ。人混みが苦手なので、人が少ない場所が好きなのだ。

 

光の海と銀河鉄道

この時期、やはり夕方以降、期待してしまうのはクリスマス☆イルミネーション。汐留に移動し、日テレのからくり時計やショップなどをひやかした後、カレッタ汐留の『Caretta OCEAN Xmas』 の点灯を待つ。大勢の人の山に、期待も膨らむ。

Photo  

 

 

 

 

 

 

LED30万球が一斉に点灯した瞬間、集まった人々から感嘆のため息がもれた。大海原の中のサンゴをイメージしたピンクのツリーがひときわ目を惹き、幻想的な雰囲気をかもし出していた。海の中を人魚姫にでもなって泳いでいる気分に。

Photo_3点滅しているもの、変色して波のしぶきを演出しているもの、場の雰囲気を変えるものとLEDの輝きが変化するたびに、あちこちから歓声が上がる。うっとりしてしまって、しばし動けず…。

すぐ近くの旧新橋停車場では、走れ!ファンタジア号Galaxy Platform ~宇宙への旅立ち~』と題したイルミネーションが展開されていると知り、そちらへもGo!日本初の鉄道が新橋・横浜間を開通した当時の蒸気機関車を模して創られているそうで、夜の街に出現した光の列車は銀河鉄道そのものだった。

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 今年もきらびやかなクリスマス☆イルミネーションを愛でることができたことに感謝。今夜、多くの人々に、幸せの光が降り注ぎますように…。

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2009年12月18日 (金)

三線リサイタル

この間の日曜日、夫が三線のリサイタルを開いてくれた。私があるテレビ番組を見て、「沖縄の音楽に熱いものが込み上げてきちゃった」とメールしたら、「土日に聞かせましょうかね」と返信があり…。

近所の沖縄居酒屋で、昼間三線教室が開かれていて、今夏、何度か足を運んで練習していた夫。3曲弾けるようになったとかで、その3曲を披露してくれた。

誰かが見ていると練習できないからと私が見ている前で練習することがなかったので、どのくらい弾けるのか程度がまったくわかならかったのだが、何度かつっかえる場面はあったものの、何の曲を弾いているかわかるほど、夫の三線の腕は上達していた。「最近は触ってもいなかったので、弾けなくなっちゃった…」なんて言っていたが、十分に沖縄の風を感じることができた。

私のために、私のためだけに開いてくれた三線リサイタル。1曲目から全身がゾクゾクするような感動を覚え、誰かが見ていると弾けなくなる夫の性格を知っているせいもあり、涙があふれて止まらなかった。

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「弾いてみる?」と、夫が優しい眼差しを寄越した。「いいの?」

私には弾ける弦楽器はお琴だけ。中学のころ、ギターを授業で習ったが、弾けるところまではいかなかった。それから、他の弦楽器を弾く機会は、ハープ(高校の部活の他パート)をちょっと弾く以外になかった。あんなに沖縄へ行っていたのに、本物の三線を手に取ることもなかったのだ。

夫が持っている三線は本物の三線ではなく、沖縄の土産物屋で販売されている観光客用の代物。それでも、演奏できるだけの機能は備えており、チューナーもある。

調音した後、夫が三線教室で最初に習った『♪チューリップ』を恐る恐る弾いてみる。つめの代わりにピックを使用。弦をはじく感覚がよくわからず、強弱がめちゃくちゃ。左手の弦を押さえる指もめちゃくちゃ。

それにしても、三線の楽譜『工工四(クンクンシーと発音)』は慣れるまで読みづらい。三線の楽譜はドレミファソラシドではない。合乙老四上中尺工五六七となる。ドレミ…で覚えるのではなく、合乙老…で楽譜通りに覚えるのが良いと夫からアドバイス。

どれくらい練習したのか、『♪チューリップ』の他に、テンポは超がつくくらいゆっくりだが、沖縄民謡『♪安里屋ユンタ』と『♪十九の春』がなんとか弾けるまでになった。夫も「弾けるじゃん」と言って、飲み込みの良さを褒めてくれた。

久々に楽器を奏でてみたが、こんなにも楽しく、心が豊かになるような味わいは忘れていた。好きな音色だけに、リラックス効果も。こんなゆったりした音色を日夜耳にしている沖縄の人たちが、いい意味での“ていげー主義”になり、なんくるないさ(なんとかなるさ)と悩みフリーでいる訳がわかる気がした。

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2009年12月15日 (火)

適切なメッセージ

たい焼きを買ったら、たい焼きを包んでいた紙袋に、こんな言葉が記されていた。

Photo_7「捨てないあなたはステキです。」お召し上がりの後の袋はゴミ箱へ。

なんと気が利く一言ではないか。しかも、購入者が目にする確率が高い包み紙にプリントされているとは。こういったメッセージの有効性は高いと思う。

タバコの箱には吸い過ぎると健康を損ねるおそれがあると謳われている。あの言葉は、喫煙者にとっては耳は痛い(目が痛い?)だろう。毎日、目にするたびにいたたまれない気持ちが芽生え、いずれ禁煙に至る人もいるかもしれない。

駅やイベント会場、学校、病院、映画館など、人が大勢集まる場所への広告もいいだろう。私が思いつくぐらいなので、もう行われ始めているところもあるだろう。テレビでも、アルファベット2文字の会社名のCMは印象深いものがある。よりよい社会をめざす民間の広告ネットワークだそうだが、

昨年度、勤務していた小学校には、児童らの作品で「ゴミを捨てない!」とか「草花を大切に!」などといったポスターが、人目につきやすいところに貼られていた。これは目にした人だけではなく、作成者の心をも豊かにする作業になろう。

対象を絞り込んだこういったメッセージは、もっとうまく活用できないものだろうか。世の中に販売されている商品はあまたに存在する。それを利用して、人々に送りたいメッセージをパッケージや箱に印刷する。もちろん、商品との関連付けは必要だろう。

日々の生活の中で、人々に、倫理感のあるメッセージを見せる。何気なく見ている文字でも、一部の脳細胞が記憶する。それに関係する場面に遭遇した時、記憶が呼び覚まされる。倫理に沿った行いをする人が増える。聴覚で覚えにくい人は、視覚なら覚えやすいと言われているから、視覚による訴えはかなり有益なのではないだろうか。

道徳心は広がりにくいように思えても、一人が発信した正しいメッセージは距離や空間を超えて広まるもの。一人ひとりが実践する倫理は、決して無駄ではないのだ。

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2009年12月12日 (土)

お好み焼きに一字

今年の世相を表す漢字一文字の発表があった。新政権発足、新型インフルエンザの流行からだろう、“新”が選ばれた。私も一字選ぶとしたら“新”だったので、ちょっぴり嬉しい。

1月にダイエットを始めてから、ホットプレートを出してお好み焼きを焼くことがなくなった。これだと、一人何枚も焼いてしまうので、つい食べ過ぎてしまう。最近はフライパンで一人一枚ずつ焼く方法に変更。こうすれば食べすぎを防げるのだ。

私はお好み焼きには必ずマヨネーズをかける。いつもはイラストを描き、夫に何のイラストか当ててもらってから食べている。当たっても当たらなくても、私の口に入ることは変わらないが、当ててもらいたいので、絵心はないのだが頑張る。

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最近は平日の昼食にお好み焼きを作ることが増えたので、イラストではなく、夫の名前や文字を描いている。普通にマヨネーズをかけてもいいのだが、なんか描きたくなってしまうのだ。習慣というのは怖いものだ。

Photo_8今、冷蔵庫に入っているお好み焼きソースは、広島で買って来たカープソース。広島ではポピュラーなソースみたいだ。でも、こっちでは、もちろん販売されていない。一口にお好み焼きソースと言っても、メーカーによって味が異なる。コーミソースがお気に入りかな。

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2009年12月 9日 (水)

年賀状の準備

若者たちの間では、年賀状が交わされていないと聞く。メールでやり取りして終わりだとか。それに驚いた私は、すでに“若者”には属さない。

そのことを初めて知ったのは6年前だっただろうか。八重山諸島を一人旅している時に知り合った大学院生との会話の中で、年賀状の代わりに新年の挨拶はメールで済ませると聞いたのだ。その時は「なんて味気ない」と驚倒したものだった。メールでも、送るだけ、まだマシだと思うべきなのだろうか。

新たな年の幕開けに、年賀状を送って、旧年の感謝の気持ちや近況報告をするのはいいものだと思う。私自身は、デザインを考えたり、写真を選んだりする作業が楽しい。確かに、フルタイムで働いていた時は、ちょっとばかり面倒だと思ったことも、正直ないではない。一人ひとりに手書きでコメントを書き入れていたので、大変でもあった。それでも、相手を顔を思い浮かべながら書いていくのは、やはり楽しかった。

さて、私がこの冬作成する年賀状は…。10月に案をいくつか作成したのだが、これといった一枚に絞れないでいる。どれもイマイチ。デザイン力がない。ハガキも買っていない。今年はカラフルなハガキが登場したので迷ってしまう。

ということで、取りかかりは早かったものの、まだ一枚も印刷していないのだから、笑ってしまう。なかなか縛りから解放されないのも理由なのだろう。

年賀状の受付開始日まで一週間を切った。締め切りまでには投函できるように、そろそろ準備を進めたい。

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2009年12月 5日 (土)

見ず知らずの人からの「ありがとう」

悩みが持ち上がり、がんじがらめに。気づけば、一週間もブログの更新をしていない。いつもは書きたいことがあふれ、投稿が追いつかないことの方が多いのだが、今は綴りたい心境になれない。

今日は思い切って、新規投稿のタブをクリックしてみた。マイペースで更新していってみようと思う。そして、読んでもらう記事ではなく、記録として書き溜めておこうと思うことを、気楽に記してみることにした。

 

人間は一人では生きていけない。全てのものを自給自足はできないし、生まれ落ちた瞬間から、自分のことを全て世話できる人もいない。最小単位である家族も、職場の人たちも、友人・知人たちも、生きて行く上で必要な家や食物等を作ってくれる人々も、道ですれ違う人々でさえも、縁があって知り合い、すれ違っているのだ。

落ち込んでいる最中、見ず知らずの人とのふれあいで、「嬉しいな」と感じることがあった。人間は誰もがコミュニケーションを取り合って生きて行く、社会的動物であることを実感した出来事だった。本来、人(子ども)はそういうことの積み重ねで成長(大人になる)していくものなのかもしれない。

スーパーでレジに並んでいた時のこと。すぐ後ろに並んでいた女性が、5kgのお米を両手からぶら下げていた。「重いでしょうから、レジ、お先にどうぞ」と、口から言葉が出た。その女性は、お礼を言って、私に笑顔を寄越した。レジが済んだ後も、何回もお礼を言っていた。

遠出した帰路、混雑している電車内。着席していた私の前に同い年くらいの女性が立っていた。駅に停車した際、空席を探しているような素振りを見せたが、空席が見つからないのか、依然立ったまま。私の方が通路を挟んで隣の席が空いたのに気づいたので、その女性に「空いていますよ」と声をかけた。彼女は、ニッコリ笑って「ありがとうございます」と会釈し、着席した。

通院している総合病院の休憩所で昼食を食べていた時のこと。「あ~、疲れた」とため息とともに難儀そうな声を発して、近くの席に着席した一人の老女がいた。朝から長い待ち時間の末、やっと診察が終わったといった表情に、経験のある私も同情。目が合い、どちらかともなく微笑む。老女は、私に向かって、再度「疲れちゃった」と苦笑い。言葉にすることで、疲れを癒やそうとしているかのよう。私も彼女に同意するかのように、笑顔で頷き返した。診察前の緊張が幾分ほぐれた感じがした。

三人の女性とは面識もないし、再会する確率も低い。見ず知らずの他人と言ってしまえばそれまでの関係なのだが、一瞬でもお互いの人生(というほどでもないが…)が、重なった瞬間、私の心にフワッと温かい風が吹き抜けていったのを、軽くやり過ごしてしまっていいのだろうかと考えた。落ち込んでいる時に、見ず知らずの人からの笑顔やお礼の言葉で、こんなにも「嬉しい」という気持ちの良い感情が膨れ上がってきたことに、忘れかけていた何かも一緒に湧き上がってきた。

20代のころ、駅のホームのベンチに腰かけ電車を待っていた時、目の前に停止した電車内から親くらいの年齢の女性が座っているベンチの隣に倒れこんで来たことがあった。あまりの勢いに驚き、様子を窺っていると、具合が悪くなってベンチに倒れこんできたのだとわかった。近くにあった自動販売機で冷たいお茶を買い、女性に渡した。お礼の言葉とともに、私の行為を褒めてくれた。「私にもあなたぐらいの子どもがいるの。今日のことは、話して聞かせるわ」と言っていた。スッキリしたいい気分であった。

そう言えば、初対面の人にお茶をごちそうしたことは他にもある。帰国後、成田空港駅で冷たいドリンクを飲みながら電車待ちをしていたところ、並びのベンチに初老の外国人夫婦が座った。たった今日本に到着したといった感じの夫婦で、暑いのかしきりに額の汗を拭っていた。自分だけ喉を潤しているのが申し訳ない気持ちになったので、冷たいお茶を二本買い、「Japanese Tea」と言って、差し出した。英語は苦手なので、ジェスチャーにも頼ってしまったが、優しい笑顔で受け取ってくれた。現地のコインがない時、買いたいものが買えない辛さ、私も味わったことがあるから、そんな行動をとったのかもしれない。手を振って別れた後、さわやかな気分になった。

こういった感覚を忘れていた。人間、余裕がなくなると、自分だけのことで精一杯になる。他人の置かれている立場まで、なかなか察してあげることができない。最近の私がそうだったのかもしれない。前述の三人の女性との出来事で、そのことを思い出したのだ。何気に発した言葉が、動作が、仕草が、爽快な気持ちとなって自分自身に返って来るということを。

運気も低迷がちで、最近いいことがないと感じていたとしても、相手の立場になって考え行動するだけで、「嬉しい」という感情、「ホッとした」という心情になれるものなのだと改めて気づかされた。それは、人間がコミュニケーションを必要とする動物であり、多くの人々と支え合って生きているからに他ならない。素敵なコミュニケーションができた時、温かなエネルギーが体の中に芽生えるのだろうか。どんなに多忙な日々を送っていても、自分を見失いかけていても、忘れたくない思いやりの心だと思った。

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